あらたな眼鏡アニメ
昨日撮りためてたアニメの寄生獣を一気見。
シンイチの変化をビジュアルで表す小道具としての眼鏡だったのか。
つまり、人間性の一部=眼鏡。
眼鏡に対するイメージは理性的なものが大半だが、
ここでは人間の肉体的弱さの発露、その防衛装置としての眼鏡。
むしろ、なんで原作では眼鏡じゃないのかと思うほど良い改変。
おそらく当時は今ほど眼鏡びいきな社会じゃなかったってのもあるのかも。
眼鏡をかけると普通の少年にならない。
あとは作者の好みが一番大きいか。ビジュアル重視の作者じゃないしなぁ。
何故かわいい女の子の眼鏡はずり落ちるのか
アニメにおける眼鏡描写、からの、『境界の彼方』栗山未来の眼鏡が凄いという指摘
上記の記事を読んでふと思いました。
何故ずり落ち眼鏡がかわいいのか…ひいては、何故かわいい女の子の眼鏡はずり落ちるのか自分なりに考察してみました。
まず、ずり落ち眼鏡がかわいい要因として、pixiv百科事典(ずり落ち眼鏡)にもある通り、以下のような点が考えられる。
- おっとりした印象の強調
- 上目遣いの強調
- 単純に長時間視線を下に向けたいためにずらす
- あえて眼鏡を通さずに直接目で見ることで威圧感やかわいさを表す
これらは主に2次元上の演出手法としての“ずり落ち眼鏡”であるが、
それぞれについて少し解説をする。
Read more…?
京アニは日本の宝やで
まぁ今更いうまでもないかもしれないが、今期の京アニオリジナル作品『たまこまーけっと』を観て驚愕。
すべてのカットにおいて実写的なカメラ視点が意識されていて、他社作品のようなテレビアニメ的なカットは皆無。
捨てカット無しの作画クオリティの統一も流石の一言。自社内注体制の強みというだけでは足りない何かがある。
特にオープニングの作画は京アニの本領大爆発。ロトスコープ(実写映像トレース)並のリアリズムがありながら、ロトスコープ独特のヌルヌル感はまったく感じないので、この技術は使っていないと思われるが…
手描きでどーやったらこんな作画ができるのか…!感嘆のため息と共に武者震いすら憶える。
海外じゃ3Dアニメーションが主流な中、よくぞここまで…!
2D作画の境地、ここに極まれり。
バスタースマッシュは実現可能?
『トップをねらえ!2』の中で登場したバスターマシン・キャトフバンディスの必殺技バスタースマッシュ。
「理論値…マイナス1兆2000万℃といわれる冷凍光線!」
「そんな熱量は、物理的に存在しない…!」
みたいなくだりが劇中であったし、見てる方も「絶対零度より下の温度ってw」「マイナス1兆て小学生かよww」ってツッコミをしたが、よもや可能かもしれない?
「負の絶対温度」をもつ系とは何なのか « WIRED.jp.
時に現実の方が後からついてくるってのがSF作品の面白いところだよなぁ。
初音ミクさんに対する嫌悪感って…
初の海外ライブも成功し、勢いに乗ってまた少し世間一般への知名度が上がったミクさん。
僕自身はミクさんマジ天使だと思うんだけど、クラスタ外の批判というか嫌悪感というか食わず嫌いみたいなものって根強くあるのかなー…と。
【GUMI】モザイクロール【オリジナル曲PV付】のコメントより
私はモザイクロールを学校で流しました。そうしたらクラス中が非難してきました。「こんなの流すなよ」「オタクやめろよ」「音痴」色々文句を言われました。私は泣きたくなってきました。私の好きな曲をここまで非難されることに…。
(以下略)
確かにいかに神調教したとしても、まだ人間の生歌に比べれば違和感は残ってしまう。
それも“ほつれ”というか、魅力の一つではあるんだけど、いままでの音楽の価値観からすると「人間の方がうまいんだから別に人間でよくね?」ってなっちゃう。
今現在のミクさんがウケている理由の一つに、“キャラクター性 ”もしくは“アイドル性”にあると思う。音楽性のほとんどを制作者のPが担っているところも非常にアイドルっぽい。
似たような存在にアニメのキャラがアイドルとして曲を出したりってのはあったけど、声を当ててるのは生身の声優なわけで、あえて現実にあるものを“雑味”だと考えると、それを濾過し蒸留したものが「ボーカロイド初音ミク」なんじゃないかと。
真の意味の“理想のアイドル ”ってこと。
しかしながら「初音ミクは新世代のアイドルなんだ」と説明したところで、嫌悪感を抱いてる人を懐柔することはできないよなぁ…っていう。
あとは、生歌ではほぼ無理なテンポや音階によるダイナミックなメロディーってのは醍醐味の一つだよね。
『初音ミクの消失』みたいな。
このへんは今後もPさん達に追求していってほしいところではある。
とにかくまぁボーカロイドの音楽って、音楽史における電子音楽の登場や進化と同じように、生歌と比較したり限りなくそれに近づけるのは間違ってるよね。