眼鏡に対するイメージは理性的なものが大半だが、
ここでは人間の肉体的弱さの発露、その防衛装置としての眼鏡。
むしろ、なんで原作では眼鏡じゃないのかと思うほど良い改変。
おそらく当時は今ほど眼鏡びいきな社会じゃなかったってのもあるのかも。
眼鏡をかけると普通の少年にならない。
あとは作者の好みが一番大きいか。ビジュアル重視の作者じゃないしなぁ。
何故ずり落ち眼鏡がかわいいのか…ひいては、何故かわいい女の子の眼鏡はずり落ちるのか自分なりに考察してみました。
まず、ずり落ち眼鏡がかわいい要因として、pixiv百科事典(ずり落ち眼鏡)にもある通り、以下のような点が考えられる。
これらは主に2次元上の演出手法としての“ずり落ち眼鏡”であるが、
それぞれについて少し解説をする。
1に関しては、
“眼鏡がズレても気にしない性格”の持ち主であるということ、転じて、“細かい事を気にしない人物”という内面の表れであり、“包容力”や“天然”といった性格のビジュアル的表現である。
2に関して、
これは眼鏡表現としては単純に物理現象の表現である。適性位置では目の正面前方にあるはずの物が下にズレているので、顔全体が下を向いている事象のビジュアル的表現。
この場合、上目遣いが内面の表れになっているわけだ。
3、これは老眼鏡や遠視であることの表現。
以前、お菓子研究家の福田里香先生が「眼鏡が良いのは弱点をさらしているから」と言っていたが、遠視ってのは通常の近視に比べて弱点として上な感じがある。つまり萌え度も上ということか。中年〜初老男性キャラに多く使われる印象。
そして4に関して、
これは眼鏡とはある種外界からの防護壁であることに由来する表現であるように思う。
つまり、“目”という感情を伝える器官同士を通常は眼鏡を通して間接的に接しているにもかかわらず、今この瞬間は直接的に接しているというスペシャル感の表現である。
で、本題。何故かわいい女の子の眼鏡はずり落ちるのか。
現実的に眼鏡がズレる要因として
まつ毛が長いから眼鏡を前方にズラすため下にズレる
という要因がある。
これは僕が実際そうで、眼鏡を適正な位置に持ってくるとまつ毛が当たってしまい、まばたきするたび少し気になるし、レンズも汚れちゃうんですよね。
目とレンズの一般的な適性距離は以下にも記載がある通り12mmくらい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q116167636
これは少しまつ毛が長いと十分当たる距離。
ズレるのが少しでも、加えて鼻が低ければ、そのまま下にズレてしまうという寸法である。
つまり、まつ毛が長い事は美しさの一要素であるからして、かわいい子の眼鏡がズレているのもある種必然といえるのではなかろうか。
さらに、実際の内面の反映ではなくとも1の印象を与えたり、実際には正面を向いているにもかかわらず2のような上目遣いの効果をもたらしたり、4のようなチラリズム効果も与えるという…。
そのような複合的な印象が絡み合った結果、ずり落ち眼鏡はかわいいという効果が生まれている。
まぁ、あざといですけどね。
カッチリかけたクールメガネも大好きです。
捨てカット無しの作画クオリティの統一も流石の一言。自社内注体制の強みというだけでは足りない何かがある。
特にオープニングの作画は京アニの本領大爆発。ロトスコープ(実写映像トレース)並のリアリズムがありながら、ロトスコープ独特のヌルヌル感はまったく感じないので、この技術は使っていないと思われるが…
手描きでどーやったらこんな作画ができるのか…!感嘆のため息と共に武者震いすら憶える。
海外じゃ3Dアニメーションが主流な中、よくぞここまで…!
2D作画の境地、ここに極まれり。
]]>「理論値…マイナス1兆2000万℃といわれる冷凍光線!」
「そんな熱量は、物理的に存在しない…!」
みたいなくだりが劇中であったし、見てる方も「絶対零度より下の温度ってw」「マイナス1兆て小学生かよww」ってツッコミをしたが、よもや可能かもしれない?
「負の絶対温度」をもつ系とは何なのか « WIRED.jp.
時に現実の方が後からついてくるってのがSF作品の面白いところだよなぁ。
]]>僕自身はミクさんマジ天使だと思うんだけど、クラスタ外の批判というか嫌悪感というか食わず嫌いみたいなものって根強くあるのかなー…と。
【GUMI】モザイクロール【オリジナル曲PV付】のコメントより
私はモザイクロールを学校で流しました。そうしたらクラス中が非難してきました。「こんなの流すなよ」「オタクやめろよ」「音痴」色々文句を言われました。私は泣きたくなってきました。私の好きな曲をここまで非難されることに…。
(以下略)
確かにいかに神調教したとしても、まだ人間の生歌に比べれば違和感は残ってしまう。
それも“ほつれ”というか、魅力の一つではあるんだけど、いままでの音楽の価値観からすると「人間の方がうまいんだから別に人間でよくね?」ってなっちゃう。
今現在のミクさんがウケている理由の一つに、“キャラクター性 ”もしくは“アイドル性”にあると思う。音楽性のほとんどを制作者のPが担っているところも非常にアイドルっぽい。
似たような存在にアニメのキャラがアイドルとして曲を出したりってのはあったけど、声を当ててるのは生身の声優なわけで、あえて現実にあるものを“雑味”だと考えると、それを濾過し蒸留したものが「ボーカロイド初音ミク」なんじゃないかと。
真の意味の“理想のアイドル ”ってこと。
しかしながら「初音ミクは新世代のアイドルなんだ」と説明したところで、嫌悪感を抱いてる人を懐柔することはできないよなぁ…っていう。
あとは、生歌ではほぼ無理なテンポや音階によるダイナミックなメロディーってのは醍醐味の一つだよね。
『初音ミクの消失』みたいな。
このへんは今後もPさん達に追求していってほしいところではある。
とにかくまぁボーカロイドの音楽って、音楽史における電子音楽の登場や進化と同じように、生歌と比較したり限りなくそれに近づけるのは間違ってるよね。
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